うつでの休職生活2
早速、かかりつけの病院に行き事情を話し出社許可の診断書をお願いしました。
すると、予想外の渋い主治医の顔。
「まだ出せません。」
「はぁ?!」
実は休みに入る前に主治医より毎日のスケジュールを記入する用紙をもらっていました。それを見ながら主治医が言うのです。
「ちゃんと休んでいますか?」
「はい、テレビ見たり寝落ちしたりダラダラ過ごしています。もう大丈夫です。」
「僕には焦って復帰しようとしてるように見えます。まだ出せません。」
確かに、2週間で復帰する気でしたからできないと言われると焦ります。
「とりあえず2週間程度と書いただけで無理です。」
「どうしても無理ですか?」
「はい」
この時は正直主治医に怒りまくってました。
自分の計画が丸つぶれになった訳ですから。
それでも出してもらえず、渋々病院を出ました。
主治医曰く、私の場合1日の始まりと終わりが子どもの予定で決まっているのでそこでは休めない。合間でうとうとしている時間に少しずつ回復しているのだ。との説明でした。
確かに、海外ドラマ観ながら寝落ちよくしてたわ、私。とちょっと納得。
上司にメールでまだ診断書を出してもらえない旨を連絡。 セカンドオピニオンに出してもらってもいいけど、どうにかならないのか?との返事がきたので、いくつか心療内科に問い合わせてみましたが、予約も取れないし、診察料もバカにならないのでセカンドオピニオンはやめて、おとなしく休むことにしました。
ここでもまぁ、あと2週間くらいのトータル1ヶ月程度かな?なんて思ってましたがそれは全くの見当違いと気付くのはもう少し後のことです。
しかし、この2週間はかなりきつかったです。すぐに休みに入ってまともに引き継ぎもしていないので仕事の問い合わせのLINEや電話が途切れません。
手元に資料がないので答えられることにも限度がありました。
そして、そのことがさらにストレスになり、
私は職場からのLINEや電話に拒否反応を起こすようになりました。
休んでいても実際は全く休んでいないという状況は私の症状を悪化させました。
実は私の休職理由は表向き喘息が酷くなってて療養中となっていた為、同僚達は何も気にせず問い合わせしてきていたんですね。
本当の理由を知っている上司に状況を伝えたところ問い合わせを控えるように指示を出してくれ、そのかわり簡単でいいから引継書を提出してくれと言われました。
そこで私はひらめきます。
引継書つくる為の出社許可を出してもらおう。それなら会社にも行けるし、調子が良ければそのまま復帰もできるだろう。
そして部署異動の話も進めてもらおう。
なんて、都合よく予定を組み立てていく私でしたが、それも全く思い通りになりませんでした。
うつでの休職生活1
私が心療内科でうつの診断を受けたとき、2週間ほど休めば大丈夫だと勝手に思っていました。
仕事がそんなに忙しくない時期2週間、完全に自分の都合です。
リフレッシュもできるし、異動もしやすくなるし一石二鳥!なんて甘い考え。
勿論、主治医にはフルタイム勤務、人間関係の問題、平日ワンオペ、家事は100%自分であることを全部話しました。
主治医からは元々、もういっぱいいっぱいで慢性的な疲れとストレスの中、人間関係の問題でダメ押しをされてこの状態になったのだろうと言われました。
家庭環境が変えれないのならば、せめて人間関係の問題から離れられるよう異動できるならした方がよいとのアドバイスをいただきました。
睡眠導入剤、不安時に飲む薬、ストレスに効く薬を処方され飲むようになります。
眠りが浅くきつかったのが薬のおかげでねむれるようになり少し疲れが取れた感じがしましたが、落ち込んだ気持ちは変わりませんでした。
まず、私の希望通り2週間程度の休暇が必要との診断書が出ました。提出した次の日から休むよう職場より言われましたが、ある意味計算通りで何も問題なくすんなり受け入れ休みに入りました。
その時の上司との面談で、環境を変えることを主治医に勧められたことを伝えました。
休むと言っても保育園の送り迎えがあるので朝起きる時間、お迎えの時間、寝る時間は変わりません。
仕事がない以外は普段通り。
アマゾンプライムに入っているので、観たかった海外ドラマを楽しんでました。
ただ、ドラマを観てる時によく寝落ちするなーとちょっと不思議に思っていました。
そして2週間後、出社しました。
お詫びの手土産を同僚に渡し、普通に仕事をしましたが、人間関係の問題が解決したわけではないのでかなりビクビクして過ごしました。
翌日子供が熱を出した為休暇を取りました。
その時、上司からメールが届きました。
知らなかった私も悪いのですが、上司も知らなかったようで、復帰するには主治医の出社許可の診断書が必要で、その後産業医の面談をパスしたら出社可能となるので、それまで出社は許可できないとの内容でした。
私は少し慌てましたが翌日子供の熱も下がり、保育園に送った後病院へ行きました。
診断書さえもらえばすぐ復帰できる。
そう思っていました。
ここから予想外の展開が私を待ち受けていたのです。
うつの原因と症状
私は44歳でうつ病と診断されました。
主な原因は職場の人間関係です。
平日ワンオペで仕事、家事、育児に疲れて果ててしまったというのも一因です。
うつと診断される前に、様々な症状が出始めました。
初期症状はまず風邪が長引き、喘息になりました。(後から、ストレス性だと判明しました。)
眠れなくなり、朝になると吐き気、胃痛。
会社に行かなくてはと思うと絶望感が襲い、無理やり会社に行けば、唇が震え、呼吸が浅くなり、次は過呼吸気味になります。
それを隠すためマスクが手放せなくなりました。
集中力も落ち、ここから逃げ出したいと思うようになります。
楽しい、嬉しいという感情がなくなりました。
顔つきも変わったと思います。
特徴としては、目に生気がなくなり感情を表に出せなくなり強張った感じです。
過食傾向で、体重は増加しました。
流石にこのままだとまずいと思い、自ら心療内科を訪れました。
そこで、面談とチェックシートみたいなものを記入した結果、鬱病と診断されたのです。
戸惑いよりもこの状態が病気であるということにほっとしました。
そこから結局、3ヶ月休職しました。
多少の安堵感はありましたが、会社の人にどう思われているのか不安で早く復帰したくて焦る毎日でした。
3ヶ月後、なんとか復職しましたが現在も通院中です。
部署異動となり、少しは楽になるのかと思いきや、全然良くならず、寛解には程遠いです。
むしろ悪化していると主治医に言われました。
人間関係の問題は移動により原因の人と直接の関わりが少なくなったことでとりあえず落ち着きましたが、仕事量はむしろ増えそのしわ寄せが子育てにきてストレスになっています。
そして、どうやら職場そのものが嫌になってしまったようで、居心地が悪く落ち着きません。
今は拒食傾向で、体重も減少しています。
4kg程減りました。
毎朝、葛藤しながら会社へ向かっていますが、
時々、どうしても行けなくなり、休んでしまうこともあります。
私のうつ病の特徴としては、躁状態にはならず、鬱状態が続きますので、単極性うつ病だと思われます。
両親には心配をかけるので話していません。
夫と数少ない友人達だけに話しました。
経済的事情の為、再び休職は考えられません。ただ、このまま自分が定年まで耐えられる自信もありません。
転職にするにも45歳で幼児育児中という厳しい条件では厳しいです。
未来が見えず、さらに落ち込んでいく中、なんとか今の職場を辞める方法を考えている毎日です。